「あぁ、いいですね、わかりやすい!」
人生においてほめられたことがあまりないので、20年の歳月を超えてまだ覚えている。
CSSをワークショップ形式で学ぶ講義だった。20人足らずの学生は、ぼくも含めてCSSを初めて学ぶヒトばかりだった。それも当然で、1998年当時、CSSはまだ出始めでごく当たり前に使われるようになるのにそのあと数年かかっている。いま考えると、かなり先進的なデザイナーに学んでいたのだなと思う。
講義の最後に、実習の成果物が発表され、そこでほぼ唯一、作品におほめの言葉をいただいたのだった。
その講義は、全体としてはグラフィックデザインの講義で、CSSの実習はその中の1コマに過ぎない。だから、プログラマ出身のぼくはその中ではかなり異質な人材だった。異質だったからこそ、習ったばかりの黄金比や色のバランスのとり方を、素直に表現していたのだろう。
しかし、黄金比にしたい、と、それをCSSでどう書けばいいか、は別のことである。
その場にいた他の学生は、デザインに関してはぼくよりも経験の長いヒトたちばかりだった。美大卒が中心なのだから、当たり前だ。しかし、その短い実習時間の中で、こう書けばいい、というところまでたどりつけず、かなり苦労をしていた。
そりゃプログラマのほうがよくできるでしょ、と思うかもしれないが、もう一段その理由を落とし込んでみると、当時は見えなかった本質がみえてくる。
ぼくはそこに来る前に大学を卒業していた。その卒業論文は「TeX(てふ)」というシステムで印刷した。正確には「LaTeX(らてふ)」と呼ばれていた気がするが、いま振り返るとHTMLやPDFの先祖のような仕組みで、ここは本文、ここはタイトル、などとタグを付けるように記述すると、いい感じに美しくレイアウトして印刷できる、というシステムだった。
その「TeX(てふ)」には、なんと「スタイルシート」という概念・機能があった。当時のスタイルシートは複雑で「初心者はさわらぬべし」ということであまりさわらなかった。先輩からもらったスタイルシートで十分の卒論は書けたからだ。
もう一つの観点は、「オブジェクト指向」である。大学ではまだ「オブジェクト指向」を本格的に学ぶような時代ではなかったが、その当時は「VC++」というオブジェクト指向の入ったプログラムを書いていたため、「オブジェクト指向」を知っていた。しかし、知っていたといっても、なんとなく「.(ピリオド)」でつなぐといいとか、そういうレベルだった。
そういうおぼろげな知識の海に漂っていた中で、CSSの実習をしていた。講義を聞きながら書いている途中で天啓のような、ひらめきのような、「あっ、そうか」というタイミングがやってきた。
「これって、スタイルシートとオブジェクト指向を組み合わせてあるんじゃない?」
すると、こうしたいと思ったときに、何をどう書けばいいのかが、スルスルとわかるようになった。こう書けばいいんじゃない?というのが、ズバズバと当たるようになった。
周りのメンバーにそれを伝えることは、到底できない。実習時間は短くて話している暇などなかったのだが、暇があったとしても、「LaTeX」のスタイルシートのことや、C++のオブジェクト指向のことを、その場で手短に伝えることなんてできない。自分がぼんやりとしかわかっていないのだし、いまの自分でも不可能なぐらい難しいことだ。
だが、そのときぼくは「使える」ようになった。
周りの学生よりもおそろしく早く、正確に、CSSというテクノロジーを掌握したのだった。そういう経験も、人生の中でほとんど覚えがないから、あのときほめられたことをますますよく覚えているのだろう。
そして、その後の20年、新しい技術や概念が出続けてきたが、そのたびに、それなりに理解し、それなりに使い、それなりに業界の変化に追いついてきた。でもそれは、このCSSの実習のときに体験したことを、繰り返してきただけだ。
それは、過去の知識や技術を手がかりに、あるいは、組み合わせて、新しい技術を掌握し、短時間に「使える」ようになることだ。
そして、「使える」というのは、「“こうしたい”を“どう書けばいいか”に変換できる」ことなのだ。
※CSS:Cascading Style Sheets( カスケーディング・スタイル・シート)については、こちらの記事を参照してください。
※「VC++」についてはこの記事で言及されています:
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