このブログで大きなテーマとしている「マネジメント」とは、結局「人間関係の調整」にたどり着くことが多い。複数の人がいっしょに何かをするときのために作られたのが「マネジメント」という考え方なので、「人間学」のようなものがそこには横たわっている。
人間関係調整においては、「話しが通じ合う」「お互いに理解できる」ということが大事になる。そこで問題になるのが「ヒトの話しを聞いていないヒト」の存在だ。
といっても、昔ながらの刑事ドラマの取り調べのように、明らかに悪意があったり、お互いにお互いを疑っていることが前提のようなケースを取り上げたいのではない。ここで取り上げたいのは、むしろ、ごくごく普通の生活の中で、会社や学校、家庭やその他お付き合いの中で発生する「聞いていないヒト」のことだ。
だから、ここでいう「ヒトの話しを聞いていないヒト」は、悪人ではなく、特に病んでいるわけでもなく、ごくごく普通の人、社会生活にも日本人の難しいコミュニティにもきちんと適応できるヒトである。
かといって、人間関係がうまくいかないのを全部話し相手のせいにしろ、と言っているわけではない。むしろ、「聞いてもらえないような話しをしている側」に問題がある。
だから、聞いてもらえていないことをまずは発見し、その対策を行うことで、人間関係を調整し、マネジメントをうまく進めていける人材になることが、この小文の目標だ。
パターン1)やたらとリアクションがいい(が、右から左に抜けている)
最初に提示したいのは、一見話し上手でやたらとリアクションがうまく、社交性もあって、いかにも聞いているように見えるタイプだ。
パターン1)の特徴
話しをしている間は、
「うんうん!」
「そうだよね!」
「そのとおりだ!」
「・・・感動した!」
「・・・(メモメモ)・・・」
などの言葉とともに、こちらが喜ぶような巧妙なほめ言葉もふんだんに使う。
時には、メモったりなどして、いかにも話しを聞いているようなリアクションをとってくれる。
その場は非常に盛り上がる形になり、話すほうもよい気分になってお別れする。
しかし、翌週また話すと、なぜか伝わっていないらしいことがわかる。
あるいは、極端な場合、話しの終わった直後から、話していた内容と反対の判断をして、真逆の行動を普通にとったりする。つまり、従来の自分の判断や行動を変えない。
だからといって、前述の通り、悪人ではなく騙そうとしているわけでもないので、逆に判別が難しく、「こういう人が存在する」という知識がない場合、その場で見分けるのは不可能だ。実際、半年1年と付き合うことになっても、気がつかないこともあった。
ある意味でのカモフラージュが非常に上手なので、相手も自分もごまかされていて、本人が無自覚であることが多い。よって、誰かの話しを聞いて自己変革する・自分を変える、ということが非常に難しいタイプだ。
これは、空気を読む系の若い世代に多いのかと思いきや、年齢を問わず、頭の良さや学歴を問わず、地位の上下を問わず、まんべんなく存在することを観察している。
パターン1)への対策
対策は、まず「こういう人が存在すること」を知ることだ。知って見抜くことが第一歩となる。
ベーコンの名言:「知は力なり」はここでも通用する。
その言動や行動をつぶさに観察すれば、見抜くスピードはだんだん上がっていく。むしろ、いったん知ってしまえば非常にわかりやすいのがこのタイプの特徴でもある。
「こんな人いるの?」と思われたかもしれない。しかし、人付き合いが決して多くない生活をしている私の経験からいっても、軽く10人を超えるぐらいの顔が思い当たる。あなたの周りにもおそらくいるはずで、「実は聞いていない」と気がついていないだけかもしれない。
そして、いったん見抜いたら、決して「理解」を求めないことが肝心だ。自分も他人もある意味でごまかしているような人に説得や理解は不可能だ。特に、理詰め・ロジックで説得することは徒労に終わるだろう。
仕事上理解させたり説得したりする必要がある場合は、目に見えるメリットや利点を提示して、目の前にニンジンをぶら下げた馬のような状態に持っていくのが近道である。別の妥協点・接点を作ろう。
パターン2)その場ではね返す
2つ目は、「その場ですぐはね返す」タイプだ。
パターン2)の特徴
パターン1)に比較して、比較的わかりやすいのが、「その場ですぐにはね返す」タイプだ。
こちらの話す内容に対して、やんわりと否定したり、異なる議論をはさんで言葉は丁寧ながらも反論したりして、事実上受け入れない。100%否定されることはあまりないが、受け入れられる範囲はたいてい10%ぐらいで、あとの9割は聞いてもらえない。
本人の表現がはっきりしなくてその場ではわかりにくいこともあるが、次に会った時にはね返されたことをすぐに確認できる。
はね返されたことさえ理解できれば、歩み寄る余地は、パターン1)より大きい。
言葉を選ばす短く言うと、「こちらがナメられている」ケースが多い。
プライド高く、誇り高く、高度な専門性を持っていることも多いので、ゆずらない部分について聞き入れないのは、正当性があることもある。しかし、論理的に裏付けられた反応というよりは、感情的・条件反射的にはね返されることもあり、ある意味で感情の制御がうまくできないケースもある。
パターン2)への対策
100%否定されるケースは少なく、1割ぐらいは聞いてくれるので、毎回それを積み重ねることで、時間をかけて歩み寄ることが、最初の対策となるだろう。
たとえば、このパターン2)タイプが部下であった場合には、文書で書かせるなどお互いに目に見える形でコミュニケーションを取ることが可能だろう。伝統的な会社仕事のようなコミュニケーション手法を使って対処すると効果が出ることが多い。
つまり、「つめていけば大丈夫」という意味で、パターン1)よりも歩み寄る余地が大きい。
パターン3)曲解する
3つ目は、話しの内容をねじ曲げて、曲解するパターンだ。
パターン3)の特徴
パターン1)が社交性豊かなのに対し、パターン3)は比較的真摯でまじめな印象を持ち、几帳面に学び取る態度を見せる。
話しをまじめに聞いてくれることも多く、一部理解に苦しみながらもメモを取り、そのメモを見る限りは話しを聞いてくれているように見えることが多い。
しかし、受け入れない・受け入れられない部分は、意味がねじ曲げられて、「なぜそうなるのか・・・」とこちらが絶句するほどの論理で誤解、曲解される。たとえて言うなら、「三回転半ひねり」ぐらいの曲解度を感じるケースもある(つまり、180度反対・・・)。9割ぐらい曲解されていると、「話しを聞いていない」状態に達する。
パターン2)と同じくプライドが高すぎて受け入れられない部分と、能力的に足りないために理解できない部分と、両方が共存してみえるのが、このタイプの特徴である。
ちなみに、私自身が20代新卒サラリーマンだった頃を振り返ると、このタイプであったと思われる(笑)
パターン3)への対策
このタイプは、パターン2)への対策のように、激詰めするとつぶれてしまうリスクがある。つまり、パワハラで病んだ部下を創り出してしまう可能性があるので、ロジックで詰めすぎないように気を使う必要がある。
能力的に足りない部分に対しては、一つ一つときほぐして解説し、能力を高めてもらうことによって成長するので、年単位の時間はかかるものの、指導によって成長していってくれる可能性を持つタイプである。たとえ結論がずれていたとしても、曲解して着地できるだけの頭脳を持っているから伸びしろがある。
プライドが高すぎて受け入れられない部分に対しては、短期で有効な対策はない。他人が打てる対策はほとんどないので、時を待つしかない。私のように30年以上の時が過ぎてようやくプライドが高すぎたことに気がつくことだってあるのだ。
ただ、パターン1)やパターン2)よりは人間関係を保つ余地が大きいので、うまく導いて成長の過程を眺めることも、運が良ければ可能かもしれない。
3つのパターンに共通する「話しを聞いてない」理由
3つのパターン、あるいは、いろいろなヒトを観察してきた結果、話しを聞いていない理由がわかったので、それぞれに強弱はあるが共通する部分を取り出す。
理由1)理解できない
大きく分けて2つの面がある。
1つは能力的に理解できないケースだ。
自分がとてもカンタンなことだと思って話しても、相手にとってはまったく理解できない話しであることは、よくあることだと知ることが大事だ。
もう一つは無関心。
世界の果てのどこかの話しのように関心がなかったりする。関心が持てないと、いくら聞いてもわからない。わかろうという気持ちが起こらない。
ただ、事前に相手がどこまで理解できるかを知るのは難しいので、話しをしながらじーっと相手を観察するのが第一歩である。話し上手・聞き上手ですごくよく理解してくれたように見えたとしても、それをそのまま信じてはいけないのは、前述のとおりである。
理由2)嘘をつくことが平気
これは現代人の病気ともいえるかもしれない。
ウソをつくことに対してハードルがずいぶん下がっているのが現代日本人の特徴だ。
さらに、息を吸ってはくようにウソがつける人が、たくさんいる。
そこに悪意はなくむしろ善意であり、ウソをついている自覚さえない。
適当に調子を合わせたり、適当なウソをついておいたほうが、その場がまるくおさまったり、人間関係がスムーズになったりすることはあるだろう。空気を読んで「よかれ」と思った言動や行動が、少しウソをついている、ということは社会生活のなかではよくあることだろう。
これが年月をかけてだんだんエスカレートしていくと、パターン1)のような極端な事例を生み出す。
理由3)プライドが高い。
プライドが高い、誇り高いのは、一概に悪いことではない。
専門家としての能力に対する自信、自負であることも多い。プライド高く、誇り高くなければそのウデを信頼して仕事を頼めない。
また、身に余るプライドでもなければ、若くして起業することなどかなわないだろう。人並外れた行動量の原動力となる、大切な力である。
特に若いときには無自覚にプライドが高すぎることも多い。前述のとおり私自身もそうだった。しかし、自分の位置が相対的に下がっていないと、低いところから話される言葉は届かないものなのだ。
理由4)自覚がない
3つのパターンに共通してさらに言えることは、「自分は話しを聞いていない」という自覚がないことだ。私が頭の中に思い浮かべた当人がこのテキストを読んでも、自分のことだとは絶対に思わない。
だから、これらのパターンのヒトに「あなたは人の話しを聞いていないのだ」と指摘しても無駄である。むしろ人間関係を壊すので、決してオススメしない。
裁かれるのは、自分も相手も嫌なのだ。
まとめ
目の前にいる相手は、他の星から来た宇宙人【かも】しれない、と思おう。
さすれば、1割でも通じ合えたら喜びがある。
ジョークでもあきらめでもなく、まじめに言っている。
話しを聞いていない相手は、悪人ではない。裁きの対象でもない。
「知は力」でまずは知り、いろいろなヒトを観察して経験を積もう。
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